現在寺にある彫刻は全て仏像と呼ばれているが、正確に言うと(狭い憲味で)如来像を指す。1世紀末の仏像誕生の頃にば、礼拝対象は釈尊と限られていた。その後、意味が拡大され、仏とば「如来」を指すのが一般になった。古い文献で見ると、「仏・菩薩像」と書かれている様に、如来像以外は仏像と言わなかったが、その後、菩薩・明王・天部像を含めて仏像言われるようになった。最初インドで造られた仏像は「釈尊像」のみであったが、仏教の発展に伴って次第に多〈の仏が必要になり、現在の様な多神教になったのである。又、仏教がいろいろな国を軽て伝えられていくに従って、その国固有の神々を傘下に加えていった。それは、仏教がある地域に於いて、その土地の人々の心をつかみ、浸透してく為にその土地に古くからあった信仰(その土地の神々)を加え、吸収合併し、それを利用する事によって、人々信仰を素直に獲得することが出来たからである。仏像本来の目的として仏教信者でない人でも、 一見した瞬間に有難いという感情が薄き、いつまでもその像の前から去り難く、ついには仏教信者になりたい。と感じさせるだけのカを持っていなければならない。
仏像は仏教本来の信仰の対象となるもの故、まず仏教の真髄が誰にでも分かり易い形となって表現されていなければならない。仏教の責離とぱ、慈悲であり、慈悲とは親が子に対する愛構である。親の子に対する愛情とは、もしその子に裏切られてもやはりその子が可愛い。と思う気持ちである。その慈悲心が仏像に形となって表されてなければならない。母が子を抱く持の柔らかな姿勢、優しい表構が仏像の全身に表現されていなければならない。 慈は父の愛で厳しく、悲ば母の優しく、それが仏像の姿である。仏像はまた、大衆の心をつかむ為、具体的に働き、 つまり人問の死とか病苦などの克服といった 宗教釣な要求に答える仏が必要とされる
苦しみの多いこの世の衆生は無辺といえども救済せんとする願
煩悩はつきないといえどもみな断絶せんとする願
法門の数はつきないといえどもみな学ばんとする願
もっと高い所にある仏道を成就せんとする願
四弘誓願は自分自身の為でなく衆生を救済 教化せんとするもので、菩薩はこれらの誓願を立てるのみでなく完全無欠に実践している。その菩薩行として……
他に与える事.完全な純真な物責的精神的な恵み
戎を守る事。教団の掟を遵守する事
苦難を堪え忍ぷ事
努め励む事。真実の道をたゆまず実践する事
心静かに瞑想する事。精神を一つの対象に専ら注ぐ事
事物の実相を照らし、惑いを絶って悟りを完成する働き全てのことを 明確に見抜く探い鋭い理智
以上六波羅密