1.仏像の種類(四種類)

如来

悟りを開いて仏になった者。如来の語が如【真理】によって来生した者という意味。 最高の境地に達した存在で、最高の位。人間を越えた存在なので、頭部に肉が隆起する(肉髻相)肉身が金色に輝く(金色相)手足に水かきのような皮膜がある(縵網相)眉間に白毛が右旋する(白毫相)など、三十ニの大きな特徴 (三十ニ相)と、八十の小さな特徴(八十種好)にまとめられた。肉体的にも人間とは違った特徴をそなえている。

菩薩

悟りを求める人。修行して如来の境地に到達しようと努力する存在。 一般に温顔であるのは、悟りの境地を求める修行者として、 又自らの修行の傍ら多くの人々(衆生)の教化・救済の誓願を立てているので慈悲の相を示すのである。如来の一番弟子とも言える尊者で、将来ブッタになることを約束されている者を言う。釈迦の出家以前の貴人の姿をしている。菩薩の修行は六波羅蜜

明王

明呪【仏の真言=呪文】を伝える者=持明使者の意味で如来の真言の絶大な力を実行する存在である。明呪に精通してそれを自在に操るので、明呪の王とよばれる。ほとんどのものが、忿怒の姿をとり、焔髪で目を怒らせ、多くの腕に悪を懲らしめる武器のたぐいを持ち悪を破砕する。如来の教えに従わない人間や生き物を調伏、救済するために如来の命を受けて怒りの形相になって表れた仏。菩薩が慈悲の姿を指すのに対し、明王は忿怒の形相を示すのはこのためである。怒りの表情で有無を言わさずに導く

天部

天空や天上世界、また天に住まう者の意味。仏法を守護する役割。仏教を信じる心を妨げる外的から人々を護る。仏教成立以前からインドにあった神々を仏教の中に取り入れた護法神で 、形や役割も様々で奇怪な姿をしたものが多い。福を授けるという現世利益をもたらす「福徳神」としての性格をもつ諸尊もある。仏法を守護するという役割から、如来や菩薩の脇侍としてあるいは彼らに付き従う者として脇や周囲に安置される。

羅漢

もはや学ぶ事の無くなった人。修行を完成し悟りを得た聖者のこと。(悟りの境地に達して入るが如来や菩薩のように他社を救済する事は出来ない。)尊敬を受けるに値する人の意味。仏教に深く関わり人々の尊敬を集めた釈尊の高弟達。仏教に帰依した信者にも及ぶ。彼らは人間でありながら悟りを開いた人間を越えた人々である。仏道を修行して迷いの世界を脱し煩悩をたち切り人々の供養をうけるにふさわしい境地を得た人々をいう。インド・中国・日本の高僧たちの姿もこれに含まれる。

2.四種類の造型上の見分け

如来

髪が螺髪で頭が肉けい。たいてい丸顔で座っているものが多い。手は印を組んでいる。(これは一つ一つ意味がある)出家した釈迦と同様で一枚の衣をまとうだけで、装飾品は一切身につけないのが基本の形。これは如来像が釈迦が地位や財産、家族など全て捨てて衣一枚だけで出家した時の 姿をモデルにしている。 納衣は普通、通肩と偏袒右肩の2種がある

菩薩

長髪を高く結い上げ、または肩に垂らし、衣装も装飾も華やか、天衣(てんね)という羽衣みたいなものをまとい、手にハスの花や水瓶などもって、立っていることが多いです。姿は出家する以前の王子として生活していた頃の釈迦をモデルとしている。我々俗人により近い姿に造られる。上半身は裸で左肩から右の脇にかけて条帛をかけ、天衣を肩や腕にからませます。下半身は長いスカート上の裳をつけるのが一般的です。宝冠や装飾をつけるのが普通。瓔珞などで美しく飾りつける。ただしお地蔵様(地蔵菩薩と言います)には髪はない。また観音様(観世音菩薩)には変化形が多い(十一面観音、千手観音など)。

明王

よく見かけるのが不動明王です。背中に煩悩を焼き尽くす火炎を背負い、顔もいくつも持ち(多面)目の数も多く(多眼)腕も足も何本かあるのが特徴で恐ろしい姿であるのが特徴。上半身は裸体。条帛を肩から下げ下半身には裳をつけ、胸飾や腕釧、臂釧らのアクセサリーを飾る。さまざまな武器を手にし身体に蛇を巻きつけたり、獣の皮を腰に巻いたり、髑髏をぶら下げていたりと、おどろおどろしい演出がなされる。言う事を聞かない人間達を相手にどうすれば畏怖の念を抱かせ、 屈服させて仏の教えを叩き込むことが出来るか。その自分の使命を達成するために考えられたのがこうした異形の姿であった。

天部

華やかな女性像、甲冑を付けた何体か対のもの、筋肉もりもり上半身裸像、など。上記三種の定義に当てはまらないものは天部のことが多いです。天部の見分けるポイントはまず服装。中国風の衣服を着た貴族風の人間に近い「貴顕天部」と、忿怒相で甲冑をつけた武人の姿の「武装天部」の、大きく二つに分けられる。

3.時代別の印象の違い

飛鳥時代(538-651)

日本最古の仏教文化。中国の影響により国際的性格。渡来人とその子孫が仏像を造る。 この期を代表する仏師は止利仏師である。6世紀中頃から7世紀はじめにかけてです。 仏教伝来のころでしょう。最初、多くの仏像は基本の釈迦如来像、朝鮮半島経由で輸入されたもの、およびそれを手本にしたものなので、素材も壊れにくい金銅製がと木彫が主体です。金銅とは、銅(を主とする金属)で形を作って金メッキしたもの。作風上共通する特色は 「古拙」な微笑みを浮かべ,神秘的な表情を持つこと。全体としてほぼ左右相称の厳格な構成で 正面観照性が強いことなど…。

白鳳時代(663-709)仏教文化興隆期 初唐文化の影響

―次の時代に差し掛かる初々しいもの ―7世紀も後半に入ると、 素材に様々なものが使われるようになります。金銅はもちろん、木、塑造(粘土を乾かす技法)、乾漆(漆と布を使って造型)・・・など・・・大陸から新たに伝わった技法が用いられ始めた。これらはいずれも金属よりも造形しやすい特徴を持っていたためか、厳格なものから脱し、明るくすがすがしい柔らかみのある優しさと清純さが漂う姿。左右対称性が弱まって柔軟な肉付けがなされ,抽象的表現を脱し始める。より人間らしさを盛り込む事によって宗教性を見出す。自然な写実は 未熟である。

白鳳〜天平時代

中国全土の統一を果たした唐は、首都長安を中心に国際色豊かな文化を育んでいた。日本が天皇を中心とする律令国家を本格的に建設しようとする具体的な取り組みは この長安をモデルにして、新都藤原京を造営する事から始まった。遷都(694)

天平時代(710-791)平城京の遷都(710)

仏教を国家統治の精神的支柱とする国家仏教体制で、国家規模で造寺造仏が行われた。仏教の性格が前代よりも、国家的要素を加え、造寺・造仏も国力を傾けて造営された時代だけに仏像彫刻もその技術様式もともに 熟練し、わが国の古典彫刻の完成の時代。皇族達が国家や一家の安泰を祈り作った故,貴族の好みを反映し非常に優美でわかりやすい技法と素材の特徴は、金銅仏,銀仏、塑像、乾湿造、石仏、木彫り、押出仏、など多様である。  白鳳時代とは技法上にさして差はないが、俄然、顔の表情に思想が表現されるようにる。やっと「仏像が仏になった時代」。プロポーションも 十寸に近い割合をとる様になる。調和がとれ、落ち着きと威厳を備えた様式、古典とも呼べる様式が成立した。

平安時代(前期794-896)

空海、最澄によって密教が導入され、仏像の種類も一段と増えます。仏の力一つ一つを仏像で顕わそうなどとしたからです。素材は圧倒的に木となります。男性的で力強いものや神秘的要素をもつものが好んで造られた日本の風土に結局あっていたからでしょう。 量産のために寄せ木造りといって、作り方も考案され(定朝が完成させた技法です)。

平安後期(913-1185)

密教系の明王像や、異形の仏像ですら、形はおどろおどろしく作ってあっても、その表情や存在に切実さが感じられない。和様彫刻の形成・完成・沈滞とあとづけられる。調和の取れた形姿と円満な相好を備えた定朝様と呼ばれる様式。山林修行の出現。仏教の革新。禁欲的な厳しさ。

鎌倉時代(1186-1316)

有名な運慶快慶の活躍した写実の時代。素材は木が多く、技法もいろいろ考案されます、中でも、玉眼という技法がこの時代の大きな特徴です。この時代の仏像は新鮮で親しみやすく、かつエネルギッシュな全く新しい様式が誕生。力強い彫り口で生気ある表情や動感豊かで骨太な体勢を造る。

室町時代、江戸時代(1333-1810)

室町時代の文化は次第に鑑賞的なものに比重が強まり、宗教芸術はエネルギーを失いつつあった。鎌倉時代の様式を基本として作られ形式化していく。仏像彫刻も、前代までの様式を刷新するような創造性は生まれなかった。しかし、造仏活動は変わらず盛んで かなりの作例が伝えられる。又 江戸時代も、次第に失われつつあった創造性は一層減ぜられ、桃山時代以降の仏像彫刻は美術史の本にも 余り登場することはありません。