如来

如来の姿は、釈迦の姿形から考えられたものであり、釈迦の成道後と同じである→出家し苦行して悟りを開いた後の形の姿。責理を得た者 如=真理、悟りに到達した、開いた者。体の各部に、普通の人間とは違った、いくつかの特色を持っている。服装は、単なる一枚の布を体に巻き付けただけに遺ぎない右の肩を露出させて偏 右肩 両肩に布をかける通肩と言われるものがある。原則として、手には何も持っていないので、手の形で医別する。手印・印相。

釈迦如来

歴史上実在した釈迦の仏伝により作られる。(釈迦八相)−現世の伝記・前世の本世− 悟りの為の仏。この世での静寂の境地

阿弥陀如来

人は死ぬのではなく、極楽で美しい世界に生まれ変わるだけなのだ。その為、阿弥陀への帰依、念仏修行や功徳を積み重ねる事が大切。48願という願いを立て、修行を積みはるか彼方の地、極楽浄土におり、人の死せる時来迎し、その魂を極楽に連れて行ってくれる。 功徳のあり方次第で、9通りの段階がある。現世に対する絶望の治癒と死への不安の解消

薬師如来

人間の体と心の医者の役目。現世的な仏といえるが具体的な利益が見えるもの。東方浄瑠璃世界の主。−この世界は常に妙なる音楽が流れている−手に持物薬壺を持っている。

弥勒菩薩

未来の為の仏「慈から生まれたもの」で慈尊。釈尊の化益にもれた一切の衆生を敷う任を持つ菩薩のこと。 この世にあらわれた弥勒の姿が如来の姿。それまでの間、兜率天というところにいて、如何に人を救うべきが考える−弥勒菩薩半跏思惟像−

盧舎那仏

太陽神を元に考えられた光輝普遍・光明遍照)壮大な宇宙観。我々の住むこの世界には釈迦が出現して、世を救ったがこうした釈迦が他の世界にも出現しており、その世界の人々を救い給う、と考えた。この世界は無数にあり釈迦もその数だけいる。そして、これらの多くの釈迦とその住む世界とを統合する仏と考えた。

大日如来

上記を更に展開して密教でも最上至高の絶対的存在曼荼羅の主尊。宇宙の中心というべき仏格。その智慧と光明は昼夜の別のある太陽の威力をはるか上回る。形としては頭に宝珠を結び五仏宝冠を頂き紺髪は肩にたれる。瓔珞・環釧・天衣をつけた菩薩の姿。 (普通の如来と違った如来キングオブキングとの解釈)密教金剛界・胎蔵界大日如来 法界定印・智拳印を結ぶ

菩薩

如来を助けるもの。如来は教理を説くものとすれば、その実践を相当するもので梵語で悟りを求める人との意味。Badhi-Sattava 中国音菩薩多の略。 道を求めている人という意味で仏一如来になる為修行を積み重ねいる人という事。姿は頭上に宝冠を頂き,体中に装身具を付け上半身はぽとんど裸、腰には裳というスカートの様なものを付けている⇒ 釈迦が出家する以前の王子だった頃の姿による。菩薩の頭部は螺髪でなく普通の髪で頭上に,曲げを結い,残りの髪は肩に垂らしている(垂髪)このマゲの形も時代的に変化があり,垂髪も飛島時代には写実的でなく丁度、蕨の若芽の様に先が丸くなった様な形。蕨手の垂髪のものを肩に沿って作り出している。又宝冠をかぷり首飾りを付けているが、この首飾りには房が垂れており,これを瓔珞という。体の上半身に天衣という細かい幕の様な布を方から斜めにかけている。天衣は体中をぐるぐる巻いた上、腕から体の側面に沿つて下へ垂らしている。多くの場合蓮座に乗る穏和な温顔に表される。

観音菩薩

観世音菩薩・観音様・蓮華手菩薩・救世菩薩・普間(阿弥陀の脇侍の一つで,阿弥陀に付き従い、次の世代阿弥陀のかわりを努めるものとして西方浄土にあって阿弥陀を助けるもの)観世音とは世間の衆生が救いを求めるものを聞くと直ちに救世するとの意味。観音とは大慈を強調し観世音という時は智慧を強調するという。観自在とは一切衆生を観察して自在に良くこれを救い又一切諸法を観察する事無碍自在であるとの意如来が余りにも偉すぎるという観念から如来と俗入大衆とをつなぐものとして必要とされたのだろう現世利益のもの。男性・女性を超越した姿。根本一基本形一聖観音。頭は一つ、手・脚も二本づつと人間同様。衆生を救済するという目的なので顔は優しく、慈悲にたちている。

変化観音

仏教的に衆生を救うには更に多くのカや能カを必要とする場合もあると思われ、密教の中から多面多の像が考えられた。千手観音・十一面観音。

千手観音

観音の本願は慈悲を第一とする。中でもこれは千の慈眼、手の慈手を具して衆生を救済する・延命・滅罪・男女和合・転女身などの利益

如意輪観音

6本の手を持ちその1本に
a 如意宝冠 を持ち別の一本に
b 法輪 を捧げているのでこの名を持つ(仏教のシンボル)
a 全ての事を意のままにできる
b 煩悩を打ち砕く
(如意輪)如意宝珠の三味に住して法輪を転じ受苦の衆生に財宝を施し、その願望を成就させる徳を示す。物質的・精神的願望を成就させる観音といわれる。

不空羅索観音

手に検といって一種の網をもっている像である。これで苦界に沈んでいる衆生を紋おうとする役目。

明王

仏・菩薩などよりもう一段格が低いもの。持明使者ともいい大日如来の真意を奉持して,悪を破砕する使者。もともとインドの仏教以外のパラモン教など他宗派の神々を吸収合併したもので密教の重要な像とされる様になっていった。これらは非常に強いカを持ち憤怒の形相をしたものばかり。 (明を唱えて拝んだ場合に,最も効験のある仏、王といっても良い程の仏)カある存在だけに密教では護国の尊像とされ、それが転じて、個人の身を護り悪魔を退散させるもの。親世利益の仏として広く浸透。生易しいやり方では救済しがたい相手を威力で仏法に導く役割を担う。不動明王を除いては多面多目多足の異形で怒髪 天をつくような激しい慣窓表情で武器を手にする。裸形で腰の回りに布を巻いただけの姿である。

天部

明王よりも一段下である。提婆(天上・天界)守護神としての性格をもったものとして始まり。後に人間に様々な幸福をもたらす神として信仰される様になったものが多い。性格も服装も姿も種々雑多

四天王

この宇宙の中心に聳える須弥山という山があり、我々の住む世界は、その山の周りの海の中にある一つの島。この山の中腰に四つの門があり、その一つづつ守つているのが持国(東方)・増長(南方)広目(西方)・多聞(北方)の四天。大抵高い壇上に置かれている。多様な姿。それぞれ武装している。

吉祥天

功徳天ともいう。天女形で宝冠を頂き顔は端麗で福徳円満の女神といわれている仏教に取り入れられてから福徳や豊穣を司る女神として信仰を集める。貴婦人の姿で左手に如意宝珠を持ち右手は与願印とする。

弁才天

土地豊穣の農業神、後に梵天の妃とされ言語・音楽・弁才・智慧の神となった。現世に寿命を伸ばし、財宝を蓄え資具を円満に成就させた天変地異などを除滅し、戦勝を得させる天部として早くより造像見た。

【 文化 】

へ一ゲル:『客観視された精神』
各時代の仏像は各時代の精神が客観視されたもの。

デユルタイ:『表現された生命』各時代の仏像はそれを作り出した各時代の人間の生命。造られた像を通じて作った人間の生命に迫る事が出来る。