生没年・生まれ一切不明。1794年にデビューし、およそ10か月の間に約140点の錦絵を描いて、その後消息を絶った。謎の浮世絵師。絵は極めて個性的で、江戸三座の役者絵と相撲取大童山に限定されており、版元はすべて蔦屋重三郎。短期間に作品を残した後、消えるように制作活動を停止した。94年の夏狂言を取材した作品は特に高い評価を受けている。歌舞伎夏狂言を題材にした。役者大首絵(半身像)28枚を発表、翌1795年(寛政7)2月までのわずか10カ月間に約140点の役者似顔絵と少数の相撲絵・歴史画をのこし、彗星のように浮世絵界に現れて消えた。喜多川歌麿と同じく版元蔦屋(つたや)重三郎(蔦重)に発掘され、世にでたもの。画風はきわめて個性的。鋭い観察眼をもって俳優の表情や手の動きなどをとらえてそれを造形的に強調し、みる者に強く印象づける。しかしその醜悪なほどの迫真的な作風が俳優や観客の不評をかい、絵師としての生命を縮めた。今日では世界的肖像画家の一人。従来のように役者絵を美しい静止画として描くのではなく、顔と手の表情の中に「ドラマ性」が充満する劇的な瞬間として描いています。今にも動き出しそうです。写楽の役者大首絵は、その3年前に成功した歌麿の美人大首絵の応用ですが、歌麿のように繊細で詳細でリアルなプロフェッショナルの絵ではありません。おおざっぱで乱暴なアマチュアの絵ですが、それでこそ緊迫感があります。蔦屋重三郎の判断力がじつに柔軟であることがわかります。それまで全く無名の絵師なのに金のかかる刷り方(雲母摺り)で印刷されている。

写楽
写楽