浮世絵版画の技法は時代と共に発展してきた。初期から順に見ていこう。
1.墨摺絵(すみずりえ):
延宝(1673-1680)頃。菱川師宣の描く絵本の挿絵が江戸で人気を呼び、一枚絵に独立。当時の版画は墨1色だった為、墨摺絵といわれる。摺ったあとに筆彩する場合もあった。
2.丹絵(たんえ):
延宝頃〜享保(1716-36)初期。墨摺絵に筆で色を加えた彩色絵。鉛を焼いて作る丹色を主に、緑や黄を加えた。
3.紅絵(べにえ):
享保初期〜宝暦(1751-64)頃。墨摺絵に丹の代わりに紅を彩色した絵。和泉屋権四朗という版元が始めたといわれる。
4.漆絵(うるしえ):
享保初期〜宝暦頃 紅絵の一種。墨に膠を混ぜて漆のような光沢をだしたもの。部分的に真鍮粉をまき金のように見せた。
5.紅摺絵(べにずりえ):
寛保(1741-44)頃〜宝暦頃。初歩的多色摺版画。墨、紅、緑の3色が多いが、末期には藍や黄も加えて15色ほどになった。
6.錦絵(にしきえ):
明和2年(1765〜)明和2年絵暦交換会の流行をきっかけに多色摺の開発が進められ、ついに鈴木春信が中心になって、何色でも半彩できる技術を完成させた。錦のように美しい事から「錦絵」また特に上方に対し江戸で刊行させた錦絵という意味で「東錦絵(あずまにしきえ)」と呼ばれる。


錦絵の誕生は浮世絵版画に大きな変革をもたらした。紙は重ね摺に耐えられるように厚く上質な奉書になり、顔料も中間色が作り出された。それとともに錦絵を一層華やかに見せる技法も工夫された。雲母をふりかける彫はどんどん緻密になり、摺の技術も発達する。上方では「合羽摺(かっぱすり)」というステンシル方式の手法が好まれた。これは墨摺絵の上に型紙を置き、切り抜いてある部分に刷毛で色をつ「けるものだ。版木に傾斜をつけて色をぼかす「板ぼかし」や、水をたらした版木の上に顔料を落としてにじませる「当てなしぼかし」などさまざまな「ぼかし」も考案され、微妙な濃淡を出せるようになった。金をかけた贅沢な印刷はしばしば禁止されたが、無許可で作られる私的な錦絵には、常に最先端の技術が生かされていた。

浮世絵版画の内容

浮世絵は庶民による庶民の為の美術。描かれる内容も庶民の好む当世風俗が中心だった。
美人画
役者絵とともに浮世絵の中心存在。始めは吉原の高級遊女だけだったが、次第に岡場所(私娼街)の遊女、芸者、町娘なども描かれるようになっていった。
役者絵
江戸庶民の最大の娯楽、歌舞伎を題材にした図。現代ならプロマイドといえる似顔絵から、舞台そのものを描いた芝居絵、人気役者を他の人物に見立てた創作的な図までバラエティに富んでいる。
武者絵
日本や中国の英雄豪傑、合戦場面の図。実在の人物だけでなく、物語や伝説中の人物も多く、歌舞伎からも大きな影響を受けた。織田信長以来の武人を描くことは幕府に禁じられていた。
摺物(すりもの)
自費出版の浮世絵版画。狂歌師や俳諧師が自分の作品に画をつけてもらうほか、絵暦や各種宣伝など、さまざまな目的で作られた。紙は厚めの色紙判が多く、印刷には贅が尽くされた。
風景画・花鳥画
日本画では中国美術の流入により古くから確立していたが、浮世絵でも次第に主要なジャンルになっていった。現代と違って気軽に旅行など出来なかった当時の人々にとって、風景画は絵葉書のようなものだったろう。花鳥画は身近な題材に俳句などを考えた、季節感のある作品が好まれた。
春画(しゅんが)
男女の愛の営みを描いた図。秘画、枕絵ともいう。禁令下でも極限出版が跡を絶えず、殆どの絵師が手がけている。
上方絵(かみがたえ)
江戸で出版された江戸絵に対して、上方で出版された浮世絵。役者絵が多く、鮮やかな色使いが特徴。厚めの小判の紙がよく用いられた。
横浜絵・開花絵(よこはまえ・かいかえ)
安政6年(1859年)横浜開港、慶応3年(1867)大政奉還:文化開花を迎えた日本に、西洋文化の波がどっと押し寄せてきた。その様子を報道写真んのように伝えてきたのが、横浜絵と開花絵だ。横浜絵は江戸の版元から出版され、開港後の2年間ブームになった。明治に入ると安い染料が輸入されtれ、色調は一気にけばけばしくなる。特に赤が多用されたため「赤線」とも呼ばれた。