浮世絵には肉筆画と版画がある。肉筆浮世絵には絵師が紙や絹に描いた直筆画。同じものは二つとない高価なしなであるため、裕福な家の床の間などで干渉された。一方浮世絵版画は、大量生産できて庶民にも求めやすい木版画。肉筆画に比べると圧倒的に数が多く、一般に浮世絵といえば版画とみなされている。

浮世絵版画の成り立ち

浮世絵版画は、版本と呼ばれる絵本と一枚絵とに分けられる。日本の木版画の歴史は古く、平安時代には既に仏画が印刷されていた。江戸時代になると、御伽草子や仮名草子などの大衆向け絵本が京都で刊行され、大阪、江戸へと広まる。当時江戸の文化は全てこのような上方(京阪地方)からの流入だったが、名暦3年(1657)の大火後、復興景気に活気付く中で、江戸独自の文化を生み出そうとする風潮が高まった。そして絵本が盛んに出版されるうち、文章より挿絵の比重が大きくなり、やがて独立した一枚絵が観賞用に売り出されるようになった。こうして誕生した浮世絵版画美術は、その時どきの大衆の好みを反映しながら、江戸時代の終焉まで大輪の花を咲かせ続けることになる。

浮世絵版画の制作

浮世絵版画は次のような工程で作られる。
版元(出版社)が絵師に作画を依頼する。
絵師が薄紙に墨で線描きの版画絵を描く。画中の文字は絵師が描く場合と、専門の筆耕が書く場合とがある。
版元は町奉行所管轄の絵草子問屋組合行事(天保の改革中は町名主)に版画絵を提出して検閲を受け、改印(あらためいん)を捺してもらう。改印は時代によって変化しているので、制作時期を調べる手がかりとなる。
彫師(ほりし)が版下絵を桜の版木に裏返して貼り、彫刻刀で主版(おもはん)を彫る。版下絵はこの時に焼失する。
摺氏(すりし)が大奉書の横2つ切り。縦19.5cm×横53.5cm
主版の墨摺をバレンで10枚摺る。
絵師が墨摺に細かい部分を書き込むと共に、朱文字で色を指定する。色指定は色ごとに別の墨摺を使う。例えば10色摺の版画にしたければ10枚の墨摺が必要となる。
色指定に従い、彫師が試し摺をする⇒絵師のOKが出れば、初摺(しょずり)200枚を摺る。⇒版元は初摺を再び行事に提出し、手数料と出版税を支払う。


浮世絵版画は最初から最後まで全て手作業で制作された。そのため1枚ずつ微妙に摺り上がりが異なるところがヨーロッパのプレス式印刷と比べて面白いところだ。初摺は摺師ひとりの1日の仕事量にあたる200枚が通常だが売れ筋の商品はもっと多く摺られた。売れ行きがよければ追加で摺り、これを後摺り(あとすり)という。しかし版を重ねるにつれて原版が痛むうえ、注文に間に合わせる為に色数を減らしたり、安い顔料を使ったりしたので、後になるほど品質は落ちた。例えば広重の有名な風景画などは何度も出版されたが、初期のものと後期のものとでは出来栄えに雲泥の差がある。また、版元が売上を伸ばす為に色を変え、印象が全く変ってしまう事もあった。20世紀に入るまで日本の版画には欧米のモダンアートのように通し番号や作者のサインを書き入れる習慣がなく、代わりに絵師の落款(署名叉は号の印)、版元の名(叉は屋号、商法)改印を画面か余白に摺っていた。画面にはたいていが台を入れたほか、かかれている人物の名を添えることもあった。19世紀から浮世絵版画は海外で高く評価され、盛んに収集され始めた。だが当の日本人にとってはあくまでも芝居や江戸見物、遊郭びなどの安い土産物でしかなく、うちわ絵やおもちゃ絵にいたっては完全な消耗品だった。このように価値が低かった為、庶民に広く愛されたにもかかわらず、現在では国内にあまり残っていない。さらに保存が難しいことも、数を少なくしている一因だろう。傷つきやすいうえ、湿気、カビ、虫、直射日光、酸などに弱い。