江戸時代
織田信長と豊臣秀吉が全国を再び統一し、徳川家康が江戸に幕府を開きました。平和が続きましたが、外国との交流は厳しく制限されるようになりました。

江戸の始まり徳川家の支配を中心とする新しい国家体制の成立

徳川家康が豊臣秀吉に代わって天下を統一したのが、1603年です。徳川氏は江戸に幕府を開き、265年間も政治の実権を握ってました。その長い時代を江戸時代と呼び、これまでの封建社会の中心をなす士・農・工・商の身分制度をより厳しく取り締まるようになりました。その中で最下層階級である町の商人と職人(町人)が少しずつ経済力を持ち江戸の町の風俗・流行などの文化を開花させるじだいとなります。「江戸」が日本の中心になったのは江戸時代、1603年からで、歴史的にも日が浅い。それ以前までの主な都市は京都、大阪など西に位置していました。家康はまず第一に、京都、大阪の力の及びにくいところを選んだと思われます。最初に挙げられた候補地は「鎌倉」でした。かつて幕府があった場所でもあり、「まち」として形もあって、叉それ相応の人口も確保されていたからです。しかし都市としての発展性また水運の利用を考えると、家康から見て鎌倉は適していなかった。そこで考えたのが、江戸の地だったというわけです。江戸時代は、道路が複雑に入り込んでいる地域には武士や大名の屋敷が、整然としている地域には町人の住まいがあったのです。現在、日本の伝統文化と言われる多くの形態が確立されたのが江戸時代である。江戸時代には鎖国体制が整い、長崎だけがオランダ・中国船に開放され、仏教は寺院が幕府の地方統治策の一貫として制度的に普及、叉公家や武家も幕府の統制下におかれ厳しい幕藩体制が固められた。儒学は官学となって栄え、幕府直轄の学問所の昌平坂学問所(今の湯島聖堂)を開設。それをきっかけに諸藩でも藩校が始まり、庶民の初等教育の為に私立教育機関「寺子屋」も普及し始める。江戸末期には全国的に一万を超える寺子屋があり読み書きそろばんが教えられていた。叉、幕藩体制の整備は全国的な交通網の発展を促し、農作物の商品化や流通を盛んにし、それによって町人階級の経済的、社会的地位が著しく増加した
このような社会事情から従来の貴族・僧・武家の文化とは趣を異にした町人文化が発展したのが近世の特徴である。農業でも農書の刊行や農機具の改良が見られ米以外の作物も多く作られ各地に名産が生まれた。

文学 元禄の3大作家、井原西鶴(浮世草子)松尾芭蕉(俳諧)近松門左衛門(人形浄瑠璃)など町人階層の開放的なエネルギーに支えられた作品が隆盛する。幕府は幕藩体制の抱える財政問題の原因を、華美な町人文化の普及による武家の支出増大に見出し消費抑制と一体的な思想統制を行う。庶民文化に対する抑制(享保・天保の改革)の中で庶民からは洒落本や滑稽本や狂詩や狂歌などが生まれたのである。外来の儒教や仏教の影響を受けた文化外に日本文化本来の本質やありのままの人間性への探求を目指す学問も発展してきた。日本最古の歌集である「万葉集」の研究の中から、古代日本人の言語感覚、ものの感じ方生き方の発展に努めた賀茂真淵、当時原文の解読が不能になり仏教や儒教の思想に立脚した解釈が大半であった「古事記」などを研究史日本古来の在り方を探求した本居宣長等の「国学」である。叉儒教倫理にしばられない素直な人間性の発露としての文芸である和歌が国民各層に広く寝付き始めたのもこのころであった。
歌舞伎 日本独自の古典演劇といわれる歌舞伎は「風流」と言われる民族舞踊が盛んになり、その後演劇として近松門左衛門ら専門家によって戯曲がかかれるようになり「元禄歌舞伎」といわれる黄金時代を迎えました。人気俳優の衣装や髪型は流行を生み役者は浮世絵や商標のモデルとなった。